mugi's diary

自由気ままに思ったこと感じたことを。

久しぶりに

脳貧血です。

もう2,3年間なかったから大丈夫かなぁって思ってたんだけど昨夜やらかしましたね。

あ、まずいなぁって感じたのですぐに畳のある部屋に移動して寝転がったので気は失ったものの、頭を打つという被害はなかったのでよかったです。

油断したころにやってきますね。特に自分自身というより毎回周りにかなりの心配をかけてしまうので、またこんなことがないように気を付けないと。特にまた親元を離れて暮らしますし。

以前お医者さんにも見ていただいたのですが、脳貧血って病気とかっていうわけではないらしく、治療法がこれといってないらしいんですよね。ゆっくり起き上がるなどの事前予防ぐらいしか。それに脳貧血=貧血ではないらしく、別にヘモグロビン量が少ないわけではないんですよね。

難しい。

とりあえず毎日健康が一番ですね。

 

 

飽き性

基本飽き性なんです。

熱しやすいわけではないですが、ハマったらとりあえず極めるんですけど、冷めていくときはすーっとですね。別に嫌いになったわけではないのですが笑。

案外「大好き」ということよりは「まぁまぁ好き」ということの方が細く長く関係を続けていますね。

といっても大好きだったものも別に嫌いになったわけではないので、しばらく時間をおいて戻ってみると以前のような熱はないですがまた「好き」になりますね。ただ再度戻るということを行動に移すのが中々面倒で放置してしまうことが多いです笑。

なんでこんなことを書き出したのかわかりませんが、ふと「あ、私結構重度な飽き性だ」と思っただけです。近年好きだったものハマったものを思い返して思った、ただただそれだけです。

ちなみにブログはなんとなーくで続けてます。たくさん書くときは1日に3つぐらい記事を書いたりって感じです。以前は日記をノートに書いてたのですが、ブログは日記のようにパッとメモ感覚で書くということができないので疎かにしがちです。

こんな風にとりとめのないことをまとまりなく書く日があってもいいですよね。

私の場合はいつもまとまってないんですけど。

P.S. 

最近は意味もなくPUBGを見てるのが好きですね。自分がやりたいとは思わないのですが、ぼーっと見ててすごいなぁってなってます。

あとは美容院に行きたすぎて、シャンプーとヘッドマッサージが好きすぎて、シャンプーをしてもらうASMR動画を聞いてます。来週行けそうなのでこちらは解消されそうです。

 

 

 

悪口・愚痴に関する概念

昔から悪口・陰口はいけないよって言われてきました。

ですが、ここ数年でなんかそれに関する意識が変わりつつあるというか…

もちろん、いじめとかはダメですし、明らかに本人が近くにいるところでわざとらしくあからさまにこそこそと悪口を言っているのは駄目だと思いますが…

でも多少の愚痴って精神バランスを保つためには必要なのかなぁって。

(愚痴と悪口って同じことなのかな…後で調べておこう)

本人に直接言うことももちろんありますが、明らかにいったらめんどくさいってわかってるときって共通の友達ではない子とかにちょっと聞いてー!って言いがちですね。私自身もすっきりしますし、無駄に喧嘩もしなくてすみますし。

もちろん、人によっては喧嘩をして仲が深まるという考えの方もいらっしゃると思いますが、元から喧嘩は兄弟間でもしないですし、後処理が面倒だしとか考えるとしたくないんですよね。喧嘩して仲直りするまでの労力があるかって聞かれたらなさそうです。途中でも「もういいやぁ」ってなりそうです。

と色々いいましたが元々思ったことははっきりと言う方なので、ある程度のことは冗談口調ですが直接言ってますね笑。冗談にできないレベルでイラっとすると友達に愚痴ってしまいますが。

んー、こんなこと言ってるとバッシングにあいそうですが、無駄な争いを生まないならいいのかなぁって考えたり、でも道徳的にはダメなのか…よくわかんないですね。

さらに言えば中学生ぐらいの頃は意味もなく「うざい」とか言ってた気がしますが、今はどのような行動がどうして腹立たしかったのかっていう理由がしっかりとあって、その人を直接的に中傷・攻撃するというよりはこういうことがあって、私はむかついたっていう自分の感情表現を友達にしていることが多い気がします。なんか自分でも言ってることがわからなくなってしまったけど、自分の感情表現に他人のことをふれていたら悪口になってしまうのかなぁ。

私のなかで概念が曖昧で色々と混沌としています。


価値観・考え方の相違

これをどう受け止めますか?

難しいですよね。

人それぞれ育ってきた環境、経てきた人生の道というのはバラバラで多種多様な人々が知り合いになりお互いの考えや価値観を共有するってとんでもなく難しいことだと思います。

私はそういう場面に遭遇した時は自分の考えを引っ込めることが多いです。こういう考え方もあるんだなぁとは思いつつ、でも納得しているかと聞かれたらそれは別の話で笑

もちろん、そのお話のトピックにもよりますが人生の中で作り上げられた人々の考え方ってちょっとやそっとでは変わらないものです。

私自身「男女平等」って言うのをベースに育てられてきて、女性だって出世はもちろんできるし、女性も男性に負けず劣らず優秀だと思います。なので男性の方が女性より優れてるという発言を聞くと過敏に反応してしまいます。もちろん、その人が無意識に言ってる場合もあり潜在的なものなのでしょうが、いつも反論しようか迷います。基本スルーを選択するんですけどね笑。

他にも、女性は家庭に入る前提で話を始められ意見を求められると困ります。その人の理想が女性は家庭に入るなのだろうと仮定してお話をききますが、私的にはそもそも何で女性が家庭に入る前提で話しているんだろう…もしかしたら女性も働いてるかもしれないのにという考えが浮かんでもやもやするんですよね。

話の腰を折ってしまうので、そういう時は静かに聞いてフェードアウトすることにします。意見求められても濁しちゃいます。

もちろん、それもまた人によりけりで議論が好きな人、または純粋に率直な意見を聞きたいって言われたら喜んで長々と持論を語りますが笑。

でも、この男女不平等的な世の中は男性が悪いというわけではなく、女性も都合よく「女だから…」といっていいように女性という立場を利用したり「男なんだから…」っていい責任をおしつけるのも大きな要因の一つだと思います。

まぁそんなフェミニスト的発言をしてると結婚逃すよって言われましたが、妥協して従順な夫を支える妻を演じるぐらいなら独身でいいやってなります。

今は結婚しても働きたいと思ってますし、子供ができても自分のキャリアを途中でストップするなんてことは微塵も考えてません。ですが、こんなのはその時が来ないとわかんないですよね。でも、色々なことを両親のおかげで経験させていただいたので途中でやめてしまうのはもったいないし軽い罪悪感もあります。できるところまでは欲張って全部っていう選択をしたいですね笑。

まぁ、結局今未来のことを考えだってわかるはずもなく。

難しいですよね。

 

8年

実は1ヶ月ぐらい前に大まかに書いてはいたのですが、完結させてなくて笑。なので少し時間がずれてる感ありますね。


8年経ちましたね。

長いようで短かった。

今回は日記というより自分的の ターニングポイントに直面してるので、久々に過去を振り返りたいなぁと思って書いてます。なので長いですしまとまりがないです笑。

 

向こうに渡ったのは中3の1学期が終わる少し前。

そのことを聞かされたのはそれの半年前とか。その当時はまた外国に行くなんて微塵も思ってなかったし、「ついていく?」って親に聞かれたときはあまり考えずに行くって言った気がする。まぁ、小さい頃に3、4年向こうで過ごしていた関係で、帰国子女なのに英語がしゃべれないというコンプレックスがあったのも行くって決めた要因なのかなぁ。

私の場合、初日はとりあえず何が起きてるかわからなかったなぁ。

印象的だったのは生物授業の教室は3人で1つのテーブルをシェアだったんだけど、女の子2人で座ってたのでそこの座ろうとしたら鞄を置かれたことかなぁ。まぁ友達のために席とりをしてたみたいで要するに座らないでくれってことだったんだけど笑。

とりあえず最初の1年は宿題をこなすことだけでも夜中の2時3時とか普通で…というより理解してちゃんとできてたらいい方で笑。毎日3、4時間睡眠だったなぁ。

あと、グループプロジェクトとかペアでのプロジェクトが恐怖だった。何起きてるのかわかんないし、全然貢献できないし。基本ランダムで組まれたからもうメンバーには申し訳なさでいっぱいで、日本語だったらって何度思ったことか…

結局最初の1年は友達を作るとかもはやそういう次元ではなかった気がする笑。

そもそも、コミュニケーションもろくにとれない子と仲良くしようって思うほど高校生って人としてできてないよね。もちろん、中には何を思ってかわからないけど話しかけてくれる子とかいて。その子たちとは今でも仲良くしてて、今でも本当にありがたくて感謝しかないし大好きな存在なんだけどw

でも友達ができない経験があるからこそ感じたことがあり、それが今の自分に繋がってるので結果的にはよかったかな。人の心に少し敏感になれた気がする。

後に知ったのだけど、私の住んでいる地域はそもそも英語を第二か国語として入ってくるESLという生徒がほぼ0なので、ESLというシステムもしっかりと確立してなかったみたいで。

高校に関していえば友達関係は最悪だったし、変わった地域に住んだのもあってここの地域の住民は今でも好きじゃないけど、先生には素晴らしく恵まれてたし、英語を学ぶには最高の環境だったのかも。

読み手の方がどのように感じるかはわかりませんが、同情されたいわけではなくて。楽しかったかは置いといて後悔はしてないです。私的には辛かった時期というより成長の時期で今の私を形成するのに必要不可欠だった時間だと感じてます。

ただ帰国子女は簡単に英語が覚えてずるいっていう認識を少しでもぬぐえたらなぁとは思います。もちろん、帰国子女ってかなり曖昧なのでなんとも言えませんし、恵まれているというのは重々承知ですがそれ相応の努力や犠牲もあります。そしてそれは行ったのが小学生のころであろうと高校生であろうと変わりはありません。

話はちょっとずれましたが、ESLという生徒が私しかいない中、どの先生も進んで手を差し伸べてくださって。わかんないって持っていくとわかるまで辛抱強く説明してくれ、時には私専用の簡易バージョンの宿題にしてくれたり。

元からアジア人が各学年に1,2人ぐらいしかいない学校だから…というのもあるけど、2年前に高校を訪れたときには「英語上手になったね。元気にしてた?」ってたくさんの先生が声をかけてくださって。数学の先生、英語の先生、生物・化学・物理の先生、世界史の先生、マクロ経済の先生…本当にみんな大好きで、一人一人に感謝の言葉を述べても足りないくらいで。

その中でもESLの先生とビジネスの先生にはすごく目をかけていただいて、本当によくしてもらって…この2人とは今でも私がそちらの方に戻ると一緒にお食事に出かけるぐらい近しくて先生というより友人であり、保護者みたいな方々で。この2人がいなかったら今の私はいないだろうなぁって。

ESLの先生は私の教科担当の先生一人一人とお話して事前にいろんな配慮してくださったり、少しのことでもすっごく褒めてくださって。いつも一生懸命私の話を理解しようとしてくださり、私が単語が出てこないと助け船をだしてくださるので私も安心してお話ができて。

ビジネスの先生は私が会計の道に進むことを早い段階で助言してくださった先生で。その当時は日本に帰るつもりだったから本気にしてなかったけど、頭の片隅にはずっとあって。それに実際にそちらへの道を歩むことになりましたし…笑。

私にはもったいないぐらい素敵な方々なんです。

最初の2年は両親を心配させっぱなしだったみたいで申し訳なくも思いますが、高校4年間は英語を学んだだけでなく、人として色々と成長できた場だなぁって気がします。といっても色々と辛かったことも多かったからかとんでる記憶も結構あるんですけどね笑。

辛かったし、青春とかそんなんなかったし、友達と一緒にイベントに行ってなんて余裕は最後の1年ぐらいしかなかったけど、胸を張って行ってよかったって断言できる4年間。

一方で大学での4年間は、高校よりはるかに楽で。もちろん、勉強は変わらず大変だったのですが笑。

高校の時は大学は日本でって考えてたのですが、今考えるとやっぱり向こうの大学に行っててよかったなぁって気がする。高校卒業した当初は私の英語はうまくないしダメダメっていう気持ちでいっぱいだったのですが、大学に入って一から友人関係を築いたり、授業で発言を重ねていく上で、英語をしゃべることに対して自信がついたように思う。それに英語はさらに上達たし、キャリアに関しても様々な可能性が得られたので良かったかなぁ。

それにたくさんの素敵なお友達もできましたし!

就活に関してはちゃんとはやってなくて、その前のインターンシップを勝ち取ることによって就職が決まるのが主流という職種だったので、3年の秋はストレスがすごかった笑。

会計をしようってしっかりと決めたのは本当にギリギリだったので、資格のために150時間の大学のクレジットが必要だなんて知らなくて、大学生後半の1年半はオーバーロードでしたね。この計画性のなさ笑。

でも結果的になんとなくできたし、思ってたような会社にも入れてたので結果オーライですよね。

唯一残念だなぁって自分でも思うのは、昔ほどの積極性がなくなってしまったことかなぁ。高校に入ってがつんとやられたのはいいのですが、あまりにも落差が激しく今でも話すときにジャッジされてると感じながら多少おびえてしまうのをどうにかしたいですね。でもこれもまた時が解決してくれるでしょう。

それに多分それを懸念するより恋愛に関してもそろそろどうにかせねばw

高校4年間は欲しいとかそういう風に感じる余裕はゼロでとりあえず英語、大学受験、友達で手一杯だったし、大学4年間もなんかあまり重要視してなかったなぁ。勉強や就職、友達でまわってた笑。

振り返ってみて高校も大学も同じ4年間だけど、やっぱり高校の方が印象深いというかいろんな意味で特別ですね。別に辛かった辛かったって過去に縛られていたいわけではないですし、それは違うと思うけど、何かに挑戦するときにこの経験は戒め+モチベーションブースターとしては最適です。

未来なんてわからないし、数年後どこで何をしているかも不明すぎるけど、常に頑張っていたいですね。きっと結果はなるようになるというか、精一杯向き合って頑張っていれば自ずとついてくるでしょう。

アンチソーシャル

たまーにどうしよもなくアンチソーシャルになります。

嘘です。

別にソーシャルなわけでもないです。

個人的には当たり障りのない関係と距離感を続けるのが好きです。

自分お互いが傷つきませんから。

だってめんどくさいことって嫌いです。

でも些細なことでも気になってしまうので、パーソナルスペースに入れてしまうと色んな意味でめんどくさくなるのです。

だから、パーソナルスペースは広めにとりますし、土足で足を踏み入れられた嫌悪しかないです。

 

でも結果的にお互いハッピーならいいのかなぁって思います。

近しい距離感の人には基本遠慮がないので辛辣なこととかもはっきり言いますし、まぁ向こうもグサグサと刺してくるのでお互い様ですけど笑。

良好な関係性を築くうえで距離感って本当に大事ですね。

近寄られすぎるともう全力で逃げたしたくなる傾向にあるのでw

さて、話を戻しまして、アンチソーシャルの時ってとりあえず言葉のキャッチボールがしたくないんですよね。ひたすら内にこもっていたい。

別に何かあったわけではなく一定の周期で起こることなんですけどね笑。

ただそういう時っていつも以上に気遣いとかができなくなっちゃて、色々なことを冷めた目で見てしまうので態度には出ないように気を付けなくてはですね。

結局相も変わらず何がいいたいのかわかりませんが、触らぬ神に祟りなしってことですかね。

有言実行

私の好きな言葉のひとつです。

実際にできるかって聞かれると難しいです。

でも色々とふらふらと脇道にそれつつも最終的には有言実行しているかなぁっていうのが自己評価です。

本当は一直線に向かっていければいいのですが笑。

だけどやはり自分自身で言い出したことは最後までやり遂げるべきだと思います。

もちろん失敗することはあります。その目標に向かっている途中に壁にぶち当たったり、努力した結果ダメだったってこともあるでしょう。

でもそういう時にそこで諦めちゃうのか、それともそこで奮起して起き上がり再度挑戦するのか…それが結果的に大きな違いをうむのじゃないのかなぁって思います。

中途半端に諦めるぐらいなら結果やらなかった人とほんの数歩しか変わらないのではないかなぁと。(所詮自論ですけどね)

もちろん、努力の結果ダメだったということに対して自分自身で納得ができていればそれはそれでいいと思います。私もそういうことあるかもしれません。

ただ私は言うだけで、意思表明をしただけで頑張った気になっていないかなぁってふと気になったので戒めの意もこめて書いてみました。

オオカミ少年にはなりたくないのです。だって、あまりにもこれするあれするって言いすぎて結果中途半端になってたら、周りから「またあいつテキトーなこといってるよ」って思われるかもしれません。でもそれって悲しすぎません?

私はとりあえずは資格ですね。

絶対に来年の春ぐらいまでにはコンプリートします。これに関しては絶対ですね笑。